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信州佐久の機械屋です

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〒385-0051 長野県佐久市中込3671


   株式会社 新製作所

代表のコラムCOLUMN

 佐久市内に、旧臼田町田口と群馬県甘楽郡南牧村との境に近い分水界にある峠、標高1,110mから10km、標高460m余り下がったところが県境となっている。峠が県境に位置しないその理由は、田口藩主と幕末の代官が当時の境界を定めるにあたり、夜明けとともに両方から競争し、出会った所を境にすることを約束した。信州側では鶏を早く鳴かせて出発したため、峠を越えた関東側に領地を広めることができたという説と、田口のお嬢様は馬に乗って峠へと急ぎ、高崎のお嬢様は牛に乗り散歩のような気分で出掛けた。こうして二人の殿様が出会った場所は、高崎の殿様の驚きの言葉からとって、「馬坂(まさか)の行逢い坂」と名付けられたとか。昭和47年田口小学校狭岩分校(児童数35人)は閉校となった。田口本校までは21kmもの距離、5kmの群馬県南牧村の尾沢小学校へ通学。現在は馬坂の集落は9世帯、その手前の集落は3世帯、通月の児童はゼロ。「どこへ行ったって、土地が動くわけでねぇ、群馬でも長野でもえらい違いはない」と。昭和の合併の際に、区長は群馬に越県合併したいと狼煙を上げたが、馬坂住民の85%は賛成。しかし「越県合併には100%の賛成がいる」として、群馬に行くのは思いとどまった。郵便・電話は佐久局、行政区は佐久市。電気・教育文化は群馬で、近い店・医者までは20km。海からは日本で一番遠い地点とされる佐久市の集落である。






A会社の総務部長のIさんの話である。社長が総務部長。ボールペンというものはいくらぐらいするものなのかと質問された。あんな物は安いものです。5本で100円もしませんと答えたという。部長がそんな考えだから、机の中やそこら中にボールペンがごろごろ転がっている。今後3年間は買わないこと。加えてメモ用紙もといわれたという。
 上場企業のB社、工場では交際費ゼロ方針。来客の接待は会議費扱い。市内のトップ企業。最近まで手渡し封筒は全て他所からの裏返し封筒と決まっていた。また、使ってないトイレ・廊下の電気も消すことを徹底。ロボット業界で世界一のファナックでは、営業であっても携帯電話は持たせない。携帯に連絡しても連絡待ちになるので必要ない。報告・連絡・問い合わせ・指示は全てPCで行う。






23年前に、62歳の女性が弁護士試験(年1回)に29回目(記憶が定かではないが)にして、合格した記事が新聞に載ったことがある。彼女は20代の頃、2歳の息子を連れて離婚。その離婚調停が思ったようにいかず、裁判まで持ち込んだものの、結果は思いの外であったという。それからというもの、買い物ついでに本屋で立ち読み、図書館へ行っては離婚の法律本を読み、どうすれば思うような結果が出せたのかを勉強した。勿論、子連れのOLを続けながら。最初は難しく馴れなかった法律用語も、面白くなり、弁護士試験がどんなものか問題集に挑戦。もうやらないと諦めては息子に今年もやるんでしょと言われ挑戦した。その息子も32歳とか。今は離婚問題に詳しい弁護士の少ないとされる北海道で活躍しているという。






 届いた年賀状の中に60年前に住んでいた家の近くに住む80歳を超える方からのものがありました。当時町一番の大尽家(資産家)で姉妹はいずれも婿養子を迎えたが、今はご主人は亡くなられ子供はそれぞれ独立し一人で生活している。
時代は変わっても資産家には違いない。私はこの町で生まれ、小学3年の一学期までいた。12年前、近くまでいった際に60年前に住んでいたであろう我が家の場所を探したが、それらしき物は見当たらず、近くの家を訪ねた。それが縁で2度3度訪ねた。姉さんは私より12歳、妹さんは10歳上。この姉妹が我が家の60年前のことを克明に覚えていた。親父の職人気質。頑固で厳しい性格。。お袋の子供に対する躾など、当時高校・大学生であった彼女らから見た我が家を、私が知り得なかったことを話してくれた。また、近所の同級生で医者の娘さんのことから、当時の町の様子などすっかり忘れていたこともこの姉妹は覚えていた。姪の行政書士が作ったと思われる年賀状の端に「奇遇」に驚き、語っても語ってもつきせぬ思い、時間の経つのを忘れて・・・と手書きで追記してあった。






本日も励ましのお手紙を頂戴し誠にありがとうございました。お陰さまで、私も日ごとに元気になってきています。
今では何でも食べられるようになりました。気が向けば散歩も小一時間出来る様になっています。ただ抗がん剤の治療はまだ続いております。一度死を覚悟した身ともなれば生きていることが不思議なくらいです。お手紙にありましたように、感謝の気持ちを忘れないように心がけていますが、何時になってもわがままが抜けません。毎日暇な生活を送っていますが、今後どのような人生を送ったらよいのやら、読書などしながら毎日を考えています。
 最近、ある会社のトップからの便りです。NHKのクローズアップ現代に今夜うちの会社が出るからと、忘れず見てくれと電話があった。それ以来、一年ぶりに電話を入れたところ、昨年暮れに体調の調子が何となく悪いので、病院へいったところ即検査入院、末期癌と診断され、施術して3ヶ月経過したと言う。電話での様子では、もしかしたら再起出来ないかもしれないと、涙ながらに言っていた。それから週一位の割合で見舞い方元気付の手紙を書いた。それから4ヶ月経過後頂いたもの。まだ見ていないうちに手紙見てくれたかいと電話が入った。以前とは違い元気な声で、もう少ししたら是非会いたいと言ってきた・・・






本年は、当組合の創立四十周年にあたり、感謝の夕べとして、いささか記念の催しをと、ご先輩の皆様のご光来をお願い申し上げましたところ、何かとご多忙にもかかわらず、皆さんにご出席頂きましたこと、誠に感謝にたえません。厚く御礼申し上げます。
 実は、登記上は昭和51年3月24日(1976年)となっていますので、この3月で満38年ということになります。期では40期となります。理事長 神部 武氏・専務理事 太田 稔氏・理事 内藤辰雄氏で、大変なご苦労を頂いた3人の理事の皆さんはいずれも物故されておりますが、当時は組合事務所も無く、神部理事長宅を仮事務所として、何十回と設立準備会を開き、設立にこぎ着けたと聞いております。
 重ねてお三方に感謝とお礼を申し上げます。
 スタート時は株式会社共栄製作所・株式会社内藤工業所・株式会社日本金属化工所・株式会社中川電機製作所・有限会社山崎製作所・神田製作所・有限会社佐々木工業・有限会社協立金型製作所・有限会社清水製作所の10社です。
 国の制度資金を借り、佐久市から土地を取得し、昭和53年3月から工場建設を開始。また、株式会社ミネベア・小森印刷株式会社等取引を。共同受注事業の始まりです。後に組合事業から分離独立。組合出資の株式会社ステックが誕生です。
 次に、高度化資金を借入れて、組合員へ貸し出しを行い設備の近代化を計りました。一口に40年と申しますが、紆余曲折があり歴史がありました。
 53年3月時点では14社が、現在では株式会社ステックも入れて8社となりました。当時は1ドル240円で、まもなく170円となり、80円を切るまでに円高が進みました。
 生産工場は、アジアへとシフトし、倒産、統廃合など、組合の仲間が次々に姿を消し、組合にとって試練の時代でした。
 昨年度の県内企業の休廃業・解散488件。倒産件数の5倍で、最多だった12年度(503件)に次ぐ多さ。県内の倒産件数97件で、そのうち製造業が65件と7割を占めております。企業の寿命は30年(S59年 日本経済新聞社発行)倒産・廃業は年間50,000社(創業は30,000社)とも言われています。
 長い間続いた円高により、生産工場の海外移転。市場・消費国での生産に変わり益々進む国内の空洞化。時代の変化は一段とその速さを増し、自動車産業・金融・保険・証券業で国境を越え、業態を越え、急激な合従連合のうねりが生残りを掛け、経済全般に広がってきている状況にあります。
 ここにきて、急激な円安で電気代、材料代の高騰で円安倒産の話も出てきております。一つ舵を取り違えると、企業も個人もあるいは国家も一気に転覆しかねない時代です。
 どうか、経営に当たっている皆さん方、刻々変わる時代の流れを愚直なまでも真摯に受け止め、将来を見据えて、手を打ち、さらには強い信念と使命感をもって、目的達成に渾身の努力をお願いし、感謝の夕べとは名ばかりの祝宴でありますが感謝の言葉と致します。






 先日、モノ作りの仲間が七十年の生涯に幕を閉じた。Nさんとは、県の「自立化研究会」(月1回の日当付の研究会)で、始めての出会い。3年位続き。次に「県の肝いりの「活性化研究会」の発起人会からの付き合い。Nさんが初代会長として、二十数人を束ね、ご苦労頂いた。(私は三代目を)22歳で独立、時代の波と持ち前の積極的な経営で、今日の会社を築いた。豪放磊落な性格は、町を代表する名士の一人。一年前に当社に見えた。半年位前に電話であったが元気な声を聞いたのが最後。亡くなる一週間前にはゴルフを、三日前に腹が痛いと自分で車を運転、50分かけて病院へ行き、帰ってから家族に結果を話したとか。まだまだ元気でいて欲しかった・・・






ここへきて、人員整理、希望退社募集が目立ちます。佐久においても、この一年工場の閉鎖や、統合などありました。殆どの企業が子供に金が掛かる35歳以上が対象で、グループ全体で300人近い人を整理という会社。部門によっては、忙しくなったところも有るが、全体では相当な落ち込みいう。リーマンショックの2〜3年前に35億円の投資をしての新工場、この5年新卒を採らず、退職者の補充もせずにここまでやってきたが、最後の手段として年明けに200人全員整理を発表した会社。佐久の工場を閉鎖して、中国行きの片道切符を切られ殆どが辞めざるを得なかった会社。新潟に統合した会社。面接者の中には、この5年減給あり、昇給・賞与は無く、2ヶ月前の稼動が12日とまだまだ厳しい状況にある会社。ここへ来て株安、燃料の高騰、食品の値上げ。来年4月から消費税の値上げも有りで、これから先も悪い材料が目立つ。シリア攻撃にアメリカが踏み切れば、世界経済は一時的には失速し、株も暴落も有り得るし、尚更ガソリンは値上げとなるという説。別な見方として、近いうちにオバマ大統領は強いアメリカ、強いドルの戦略に踏み切る計画。その場合1ドル120円台も有り得ると?だが、アベノミクスは地方の中小企業までは、未だ届いてはいない様である。

 

 

 新聞報道によると、7月の参議院選の前哨戦とも云われている東京都議選(定数 127)開票結果は自民と公明両党の候補が全員当選、過半数の64議席は大きく上回って圧勝した。民主党は現有43議席から20議席を割り込み、公明党を下回る結果となった。日本維新の会はといえば34人を擁立したが2人と現有3議席にも届かなかった。共産・みんなの両党は躍進した。自民党は昨年の衆議院選では「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造」目差すとしていた。今度の参議院選の公約は原発の再稼働、原子力技術の輸出を揚げている。政策の転換によって東京都議選を圧勝したのか。この疑問に答えてくれそうなのが脱原発を訴えて立候補する俳優の山本太郎だ。さて、皆さんはこれから始まる参議院選、どの様にお考えでしょうか。

 

 

 アベノミクスへの期待感から、円は100円台に急落、株価は一時15,942円(5/23)と今年最高値を記録したが、終値は1,143円安と下げ幅では13年ぶりの記録が。また、午前は500円高も、午後は-500円といった一日の変動幅も1,000円と急激な動きが最近の一日。アベノミクスの変化はまだ中小企業には実感がない。  だが、円安による原材料費の高騰や、電気料金の値上げは深刻だ。自動車大手の様な輸出産業は、笑いが止まらないが、ほとんどの企業は円安の恩恵は今のところは見当たらない。急激な株価の上昇の大半の買付は外国人と聞く。国内はリーマンショックによる株価の赤字解消の売りがほとんどという。皆さんは、これから先をどの様に読みますか・・・?




 

 3年2ヶ月続いた民主党政権から、自民党政権に変わり、安部内閣誕生。年末までの2ヶ月半の間に日経平均株価は3割急騰、ドル/円相場は15%急落した。それから3ヶ月後の年度末、ドル/円は100円近くまで急落。アベノミクスへの期待感によって上昇。ファンダメンタルズ(経済の基礎的要因)の変化によって力強い上昇が期待され、この年末には15,000円、復活自民党政権2年後にはリーマン・ショック前の18,000円を超え、さらに大相場となる可能性をも夢ではないとも。一方、製造業はといえば、大手電気メーカーは創業以来の大赤字決算が続き、人員整理、工場閉鎖に追い込まれ。佐久市内でもこの一年で何社かが人員整理、閉鎖が。まだまだこの様なことが続きそうな状況にある。

 

 

   年度切り替えの3月末となり、何かと気ぜわしい月です。卒業・進学・就職のお知らせから、メールでの早期退職の知らせ。定年退職の知らせ。突然見えて異動の知らせと、お世話になりましたと名刺を置いて行かれた方。是非会ってご挨拶をと、何日か前に都合を問い合わせて来た方がいた。市議会議員2期8年、もう沢山です。何年やっても退職金も無い。今期限りで辞めるという。市政の裏話や、議員の辛さや失敗談など3時間近く。前回の選挙で特別お世話になったと、改めてお礼の挨拶に見えた方であった。

 

 

  JXホールディングス相談役の渡 文明氏によると、日本は戦後の混乱から復興、高度成長を果たし、先進国入りし、それから20年を超え停滞期にあること。ここから再生するのか、衰退していくのか、分水嶺に立っている。行き詰まりは歴然としている。日本の国内総生産(GDP)が世界に占める比率は、1990年には14%でしたが、2011年には9%に縮小。1人当たりGDPでも2000年の世界3位から17位に下がり、2060年の総人口は現在の32%減の8674万人、生産年齢人口はほぼ半減の4418万人に。日本のマクロ指標は衰退を示しているという。皆さんはどのようにお考えでしょうか。

 
 

 

 リーマンショック以来長いこと空いておりました根々井工場。昨年12月から1年半の契約で借りて頂きました。京都の100年を超える老舗の材木店で、宮内庁ご用達商人とのこと。軽井沢で大手建設会社の内装工事を受けての今回下準備に根々井工場を。最近の工事しては、東京駅の貴賓室(皇室用)などを。以前は主にタンスの制作を。それ100万円からのもの。高い物は300万円位のものまで。そんなタンス、近年は年に何本も出ない。そこで寺・神社・劇場・高級住宅の内装工事に力を入れてきているとのこと。仕事量の少ない中での長年積み重ねた技術を、後輩にどう教えていくかが問題で苦慮しているとのこと。高価な材料がこれから搬入されるのでしょうか。セキュリティに地変気を使われておりました。軽井沢では、動力を使った工場は許可が出ないとのことで、今回ご縁を頂きました。



 

 

   11月26日野田総理は衆議院の解散を宣言。それから1ヶ月、予想外のことが起きた。民主党政権になって3年3ヶ月、超円高の波を止めることができなかった。結局、決まったのは増税のみで、年金や福祉を先々まで確かな形にする本題は先送りされた。100年に一度ともいわれた東北大震災にも拘らず、円は上がり続け、株価は下がり、リーマンショックを超える大不況。日本経済は円高、他国と比べ高い法人税、TPPをはじめとする海外との経済連携の遅れ、不安定な電力供給など、六重苦に苦しめられ、大手電気メーカーは創立以来の大赤字決算が続いた。薄型テレビなどデジタル家電の分野で負け組を自ら認め、下請けは最後の手段、人員整理、工場の閉鎖に追い込まれた。3人の首相が変わり、少子化対策(人口が50年先には3割以上減り、100年先には3分の1に縮むとされるが)担当の少子化相が10人変わったのにも問題がある。聞こえの良いマニフェストに、やらせて見たらと乗った国民に、付けは廻った3年であった。

 

 

 ここへ来て、パナソニック・シャープ・オリンパスと大手企業の希望退社募集が新聞紙上を賑わしています。県内では10月だけで10人以上の人員整理は12社240人。佐久市内でも、この3月にはツガミ信州工場の閉鎖。スペースエナジーの佐久事業所が年内で閉鎖を発表。東芝系のリチウム電池工場の新潟への統合など、佐久市にとっても由々しき問題です。市内の巻き線メーカーでは週3日出社4日休み。御代田の工作機械メーカーは本社工場が2割、アジアの4工場で8割の生産、月産600台の生産能力を自負したこの会社も、先月は20数台のみの受注であったとか。先週末に見えたある商社、機械の動きは殆どなく、10幾つある営業所と本社が全て赤字にと。今年始めに、歴史的な円高、3.11による原発停止によるコスト高。尖閣諸島問題での、日中関係の拗れによる日本製品不買い運動、訪日旅行客の減少、中国向け輸出の減少など、五十苦、六十苦となって日本経済を下押ししてきているのが今日の様である。

 

 

  パナソニック 7,650億円、シャープ 4,500億円。いずれも今期(2013年3月期)連結巨額赤字見込み額で2年連続となる。景気が後退局面に入ったことの見方が強まってきた。ここ3ヶ月の鉱工業生産指数は前年比で4.2%と大きく低下した。予測調査から判断すると、これからの3ヶ月の生産も落ち込む見込み。自動車販売を支えてきたエコカー補助金が終了したことで輸送機械工業が12.6%と急減。内外の設備投資の低迷をうけて一般機械が5.0%減るなど、ほとんどの業種で低下した。尖閣諸島をめぐる日中間の緊張は、減速する世界経済の大きなリスク。日本自動車メーカーにとって最大の自動車市場で大幅減生産を余儀なくされた。それは日本の産業界にとっては大きな問題。日銀短観では高めに出た設備投資も下方修正は避けられず、中国からの観光客の落ち込みも、日本は景気後退に直面する。  日本経済はまさに病膏肓(心臓の下部で一番奥深い所でそこに病気が入り込むと治療が難しい)に入ってしまった。だが、「景気は年末にも底を打ち、年明けから持ち直す」との楽観予測も一部にはあるが、さて皆さんはどの様に予測しますか・・・。








 知人の一人に、500坪の敷地に地下に駐車場、建屋は部屋数十幾つの100坪を超える上物。2億近くかかっているとかの、噂の豪邸を建てた人がいる。彼を知る者は、若い時から建設会社を興し、30数年の苦労と努力の結果と、あいつはたいした奴だと誰もが云っていた。幾つかの地域の役を受け、名誉市民の一人と賞賛した。
 だが、9.11、IT不況と続いた不況、公共投資も大幅に縮小。豪邸を新築してから5年後、負債総額16億円で会社は倒産。個人は自己破産した。後から聞いた話では、会社の展示場として建てたとか。何回か倒産の噂がたったことがある、倒産しないのが可笑しいくらいとか。大分前からの計画倒産だとか幾つかの話を聞いた。
 大きくすることより、潰れない会社の仕組みに重点を置くことが、最大の目標と考える方が多い時代では...






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